僕は人付き合いが苦手です。
会社から帰る時に自社の人間を見かけると無意識に道を変えるという話を嫁にしたらドン引きされました。
面倒くさいと言うのもあるんですがそれよりも「自分と話すことで相手に迷惑にならないかな?」みたいな思考に陥ります。
1対1で話すことも苦手ですが多人数で話すのはもっとダメ。話題に乗っかりたいけれどうまくのっかることができない。結局うなずくだけの人間のできあがり。
そして後からそれを思い出して自己嫌悪に陥る永久ループ。
グループやサークルも苦手です。
・そこでの自分の立ち位置
・どれくらい距離感をもって接すればいいか
それらにいつも迷いが出るからです。
10年以上こんな性格を続けてきて
ずっとこんな思いを抱えてきました。
ただ僕は人付き合いが苦手なくせに妙な承認欲求があるんですよね。空気のような存在でいたいくせに、自分をよく見られたいという気持ちがある。
しんどい思いをしてコミュニケーション取るくらいなら一人でいいと思うこともある。
でも寂しい。
まあいろんな意味で拗らせているなあとよく思います。自分で書いていてどんどんめんどくさい奴に見えてきました。
「そんなめんどくせぇ奴知らねえよ」
と言う方が大半とは思いますが、世の中は広いのでどこかに自分と同じような思考の人はいると思います。
また自分は高校時代の頃から、こんな性格をかれこれ10年以上続けています。そしてこの性格、正直かなり幸せになりにくいなと考えています。
ただしいくつか生きてきた中で「これは自分にとっては良かったな…」という考え方や他者との付き合い方があったのでそれについて書いてみます。
もしこの記事を読んだ人の中に同じような方がいて力になれればいいと思うし、逆に「こんな考え方良かったで」みたいなものがあれば教えてくれれば幸いです。
世界は自分に興味がないと思い込む
この考えで自分はとても楽になることができました。
自分のことを理解して欲しい、または知って欲しいといった気持ち。それを認めながらも根底として「世界は自分に興味がない」ということを頭の中に入れておく。
そうすると人付き合いにストレスをあまり感じなくなりました。
・これをやるのは気がひけるだとか
・自分はこんなキャラじゃないとか
そのほとんどがただの自意識過剰だったということです。頭で考えているほど周囲は自分のことなんて見ていませんでした。ただ一人でこじらせているだけ。
だから人にどう思われるとか考える必要はあまりなかったわけです。自意識過剰は自分の選択肢を狭め、そして窮屈にしているだけでした。
また僕が人付き合いが苦手と感じる一番の要因は
・話すことが苦手とかいうよりも
・やり取りの後どう思われるのだろう
ここにあったと気づきました。
ただし自分が他者にたいしてそうであるように、他者にとっても自分なんてRPGに出てくる村人のようなものなんですよね。
特にどうも思われないし、すぐに忘れられる。
それを考えると凄く楽になりました。
SNSで消耗したら何の意味もない
ツイッターで多数会話がはじまると急に喋れなくなるやつwww
— shunponはてなブロガー (@shunpon_ff14) 2018年9月24日
…。
SNSとの付き合い方も最近うまくなれました。
もともとリアルの人付き合いが面倒な自分にとってSNSはとても楽しいツールでした。
僕の場合は特にTwitterがあっていて、1日何回投稿しているか分からないほどのツイ廃です。
しかしそんなTwitterもだんだんと疲れるようになりました。結局のところリアルと場所が違うだけで自分と異なる意見を見ることは多いし、返答に困る発言をされることもあるからです。
そしていつのまにかフォロワーが増えてくると、何でも言えると考えていたこの場所がだんだん窮屈になっていきました。
これはあかんなと思って最近は意識的にしている2つのことがあります。
・返答に頭を悩ますならイイネで終わらす
・考えが違うと思ったらミュート(通知なし)にする
この2つで僕のTwitterライフは劇的に改善しました。ノンストレス。まさに大勝利です。
「くだらねー」と思った人が大半でしょうが自分のようなバランスの悪い人間にとってこういうルール付けはとても大事。
SNSは波乗りのようなものであり、波が止まれば終了する。そんな感じで思えるようになりました。
あとよくよく考えたらフォロワーの数って別に自分が好かれているわけでもないんですよね。動物園のチンパンジー見たさてきな。
最近はそう考えることができたので気兼ねなく自由に発言もできるようになりました。
今更、原点に戻れました。
否定されたら反論しない
これはSNS、リアルのどちらでも最近僕は意識するようにしています。
・自分の意見と異なる意見をみかける
・直接また間接的に自分への批判がされる
そういう時、たとえ反論をしたくなったとしても甘んじて受け入れるようになりました。その方が上手くいくと気づいたからです。
否定をされても心の中で「こういう考えもあるんか。」で終われば無事平穏に終わるんですよね。
はじめはモヤモヤしていたんですが慣れると「まあ仕方ないよね」と思えるようになりました。
そうすると不思議なことに、今まで考えが違うと思っていた人と仲良くなれる時があったりするんです。
もちろん考えが違う部分は変わらないです。でもまた別のトピックでは同じ意見なこともあるわけで。
それでも人って仲良くなれるんですよね。むしろなんだろう。その方が自然で疲れない。これは新しい発見でした。
リアルな数字を聞かない
そして僕は何があっても人のリアルな数字は聞かないようにしました。これは相手に対して不快感を与えないと共に、他者と比較することから離れるためです。
例えば家の話になったときに
「家いくらだった?」
ときかれたら
「4,000万で2,400万は住宅ローンだよ」
と答えますが相手に絶対に同じ質問は投げ返さない。
友達が転職して年収が上がったと喜んだら
「いくら上がったの」
とはきかない。
「おめでとう」と素直に答えるだけ。そして仕事の内容とかを話します。
相手の年収、資産の多寡、投資の儲けや損失。どんな数字であっても人に聞かないようにしました。
聞いてしまうと、その数字はリアルで醜い感情を自分の中に産んでしまうことがあるんです。それは自分でコントロールができないもの。であればはじめから人に数字はきかない。
でも聞かれたら答えます。
はじめはこれも違和感がありましたが、慣れると特に何も思わなくなりました。
そして理由はよくわからないんですが
・自分の数字は答える
・相手にそれを聞かない
こんな単純なことですが、それを徹底してから相手が自分に気を許してくれることが増えました。だから会話も続きます。
また自分の心のありかたとしても、他者と比較をしないで生活することはすごく生きやすいなと思えました。
ネタにもならないマウンティングはしない
例えば資産運用の話をしていて
・A銘柄で損失をした
・B銘柄でそれを上回る利益を手にした
という出来事が自分自身にあったとき。
「A銘柄ですごく損をした」という話題をしているなかに「その後Bで挽回しました」と発言することは何も意味がないなと。
だって話題とは関係ないから。
以前まではそういうことをしてしまっていたんです。自分が惨めに思われないようにという自意識過剰さから。
でも上にも書いた通り世界は自分に興味がないのでこんなことを言ったところで誰の耳にも届かないわけです。誰にとってもつまらない情報は言う必要がないです。
それに加えて最近は隙あらば自分語りをするのもやめました。
うんうんと相手の話を聞くことに徹する。
それではじめて「あなたはどう思う?」って言われたら答えるようにしていきました。
すっごい受け身な人付き合いなんですがこれが自分にはあっていました。そういう人がいたほうがコミュニティは成り立つような気もしています。
一つのことをやり続けるのは効果的
(もともとは家計簿の為のブログでした)
継続ってすごいです。僕の場合は
僕が1年以上継続していること
・ブログを書くことと
・お気に入りのブログを読んでコメントする
この2つだけなんですけど、飽きもせずにそれを続けていくと、いつのまにか自然に人の輪が出来ていたりします。
いつもはその輪に入れない自分。でもこの場合は元からその場所にいるので特に疲れることもありません。
よくよく考えたら小さい時がそうだったんですよね。習い事なんて嫌だ嫌だと思いながら毎日行っていたらいつのまにかコミュニティができていたり。
何かを続けていれば自然と誰かと出会い、そして仲良くなることは当たり前のことなのかもしれません。
コミュ障が浮気をすると人を信じれなくなる
同性よりも異性と仲良くなるほうが楽っていう人いませんか?僕がまさしくそれでした。
ただ自分はどうしても最終的には毎回、手をだしてしまっていたわけです。
それでまぁここからが問題なんです。
すごいクソな考えなんですが、僕は自分が浮気をしているくせに彼女が浮気しないかを本気で心配していたんです。
それでフラれるのが怖くて、その時の為の保険として複数の女の子と付き合うみたいなことをしていました。
これは本当に沼のような考えなんですが、絶対に同じような症状の人がいると思います。でも本当に早く抜け出した方がいいです。
僕は嫁さんと結婚してからもう5年近くになりますが、いまだに「相手が自分をこのまま好きでいてくれるか分からない」といった不安に襲われます。
これほど最悪な感情も他にない。
僕らみたいな人間は過去の自分をどう割り切ろうとしても、割り切れないんです。
もともとの人付き合いの仕方がいびつな人間がそういったことをしてしまうと結論として一生引きずってしまう。
浮気はリア充だけに許されたものだったと今身に染みて実感しています。
ブログはとても良かった
ブログはとても良かったです。何がいいってここでは何でも書けますからね。こうやって自分の思いを淡々と書くこともできるけれど
・最近読んだ本の話をしたり
・シャンプーでフケが治った話をしたり
もはや何でもありの状態です。ここではマウンティングしたっていいんです。だって自由帳みたいなものだから。
たまに好意的なコメントを貰えたりもします。
自分の思いが相手に届いたことが分かるからすごく嬉しい→また書きたくなるの幸せループ。
僕はあまり人に褒められることがなかったので、特にそう思うのかもしれないです。
また、ブログで好きな事を書いているとリアルでの承認欲求が今までより薄くなることも実感できます。
そのおかげで人の話をよく聞けるようになったし、自分を大きく見せようとする気持ちも減りました。
自然体で人に接することに近づけます。
経理の仕事もとても良かった
(未経験からなりました)
そして経理の仕事も人付き合いが苦手な自分にとっては天職でした。ちょっと誤解がないように書いておくとこの仕事はあくまでコミュニケーション能力はいるんです。
でも経理のコミュニケーション能力っていうのはどれだけ相手に対して正確に分かりやすく伝えていくかっていうところが軸であって、営業さんのように相手に応じてスタイルを変えていく必要はない。
だからこそ疲労しない。それがとても自分には良かったです。
僕は未経験から経理になりました。
今は本当に転職にいい時代ですね。
人付き合いは苦手なままでいいのかもしれない
人付き合いの苦手な自分が思ったことをそのまま整理せずにかいてみました。
そして最近思ったのが、もう人付き合いが苦手なことは治せないんだから受け入れていけばいいかなということです。
結局のところ1番上にあげた
・会社の人が前にいたら経路を変える
っていうのも自分が本能的に人と話すのが疲れるのだから仕方がないとあきらめてしまうわけです。
でもそうやって自然体で生きていればいつの間にか周りが自分のキャラを理解してくれたりするんですよね。最近は以前より人とうまくコミュニケーションができています。
そんな話を嫁さんにしたら
「完璧な人より、弱さが見える人のほうが付き合いやすいよ」
と言われて少し納得してしまいました。
今まで自分は無理をしてなんとか人に合わせようとしていました。でも別にみんな自分に合わせてくれる人を求めているわけではないんですよね。
それなら無理しないでいいかなと。
自分のペースで今の自分ができること。
それを仕事にしても人間関係にしても淡々とこれからもやっていきたいです。