富士フイルムホールディングスの子会社である富士ゼロックスが統括するニュージーランドとオーストラリアの販売会社で、顧客とのリース取引において不適切な会経処理があったというニュースが最近報道されている。
また上場企業がやらかしてしまったのか。そして気になるのは不適切会計という言葉だ。東芝のときにもきいたこのワード。
『不正会計』や『粉飾決算』という言葉をつかわずにあえて『不適切会計』という表現をテレビ、新聞等は使用している。しかし誰がどう見たって今回のケースは単なる事務処理上のミスではない。
東芝のように上層部から指示があって行われた意図的にルールに反した会計処理だろう。
それでも不適切会計という言葉を使用するのは、大企業より得ているスポンサー収入を収益の柱とするマスコミの脆弱性他ならない。これだからテレビは嫌いなんだよね。
また、以前下のような記事も書いたけれどこういった企業の抱える問題についての内容の確認をすることは僕はとても好きだし、経理という今の自分の仕事上においても役に立つような気がしたので東芝と富士ゼロックスが行った不適切会計について簡単にまとめてみた。
もしここ間違っているよ~みたいなところや気づいた点があれば後学のためにも教えてくれたら嬉しいな。
東芝の不適切会計問題について
東芝の不適切会計問題とは2008年から2014年までに行われた意図的な1562億円にも上る利益操作のことを指す。
現在まだ騒動の渦中にある原発建設会社WH社の巨額買収とは直接は関連しないので別物としてとらえていただくとありがたい。
またその東芝の不適切会計の方法についてであるが、大きく4つあるので今回は1つずつ焦点をあてて説明をしていく。
工事進行基準を利用した不適切会計 477億円
例として工事原価総額をわざと低く見積もったこと、また工事損失引当金の過小計上をしたことがあげられている。
まず工事進行基準について説明をすると、建設などの工事の売上や原価を費用や収益に計上するタイミングについては2つの方法がある。
工事完成基準⇒工事の完成・引渡しの日をもって費用や収益に計上する取り扱い
工事進行基準⇒工事の進行割合に応じて費用や収益に計上する取り扱い
東芝については後者の工事進行基準という方法をとっている。この方法自体については原則的なことであり何の問題も無い。
では、何がまずかったかというとさきほどあげた工事原価総額をわざと低く見積もったことにある。
分かりにくいのでどういうことかを例で示してみた。
(例)2年で完成できると予定できる工事の案件を100億円で営業さんが取ってきた。原価の見積もりをしたところ50億ほどになりそうだ。
1年目の工事が終わって予定された50億円の原価のうち20億円についてを使用した
工事進行基準はその工事の進捗率に比例して売上を計上していくという売上基準。
ではその工事の進捗率については何を元に測定するのかというと、工事原価の割合を進捗率とすることが多い。
つまりこの例の場合においては(1年目の原価20億円)÷(工事原価総額50億円)=進捗率という式より40%であることがわかる。
そこで東芝は1つの奇策を思いつく。
あえてその工事原価総額を少なく見積もって40億円としたのだ。するとどうなるか。
先ほど計算をした1年目においての工事進捗率が表のように10%底上げされることになり、その結果として1年目の売上金額を増やすことができる。
これにより東芝の方が通常の場合に比べて1年目売上を多くできる。ただし売上金額が増えたわけではないので2年あわせれば一緒だ。ではなぜこんなことをしたのか。
当期利益至上主義と呼ばれるやりかたが、この方法を生んだのではないかと考えられている。2年目についてはいわゆる『チャレンジ』により、もっと工事費用については抑えればいいという無謀な考え方。
また、東芝はこれに加えて工事が本来の予定よりも費用がかかることを予測できた時に計上させなければいけない工事損失引当金についても過小計上をして損失を先送りしていた。
映像事業部門においての経費計上の先送り 88億円
東芝の中ではキャリーオーバーと言われていたようで主に映像事業で行われていたとのこと。
取引先相手にまでお願いをして請求書の発行を遅らせてもらったりすることで広告費などについてを翌期に先送りしていたようだ。
組織ぐるみで行っていたとすると監査でも看破することは難しいだろうなと個人的には思う。
販売可能性のない半導体在庫の評価減をしない 360億円
売れないと分かっている製品については、その損失を認識した時点で在庫評価損を計上する必要がある。
だが東芝はこの損失の計上を認識しながらも実際に廃棄をするまで行わなかった。
中小企業の経理にとっては耳の痛い話なんじゃないかなとこれについては個人的に思った。
パソコン事業での部品取引等による利益の水増し 592億円
この問題についてはなかなかややこしくて理解することが一番難しい。業界用語なのか分からないがマスキング価格という言葉がピンと来なかったのも原因。
順を追って説明していく。
東芝は部品会社より仕入れたパソコン部品についてを組み立て会社へと有償で支給をしていてた。
その際、部品を組立て会社へ売る値段についてはマスキング価格と称し、仕入れた部品の値段を大きく上回る価格で売っていた。
そして完成品についてを組立て会社から、マスキング価格に組み立て賃を上乗せした価格で買い戻していた。
東芝は実際に部品を調達した価格とそのマスキング価格との差額についてを売上原価のマイナスという形で一旦利益計上していた。
こういった流れの取引の中で東芝は一時的にとはいえ、部品調達価格を数倍に膨らましたマスキング価格で組立て会社へ部品を売っているので確かに一時的な利益を手にすることはできる。
ただし結局のところ完成品を売るのは東芝で、組立て会社へも最終的にはマスキング価格に上乗せして組み立て賃を支払っているわけで。
結論としては東芝は(製品販売価格)-(部品調達費+組立て賃)の利益しか得ることができないんじゃないかと思ったのだが、そこに期ずれを利用した利益のかさ上げがあった。
以下分かりやすくする為に図で示してみたいと思う。
登場人物は①東芝②部品会社③組立て会社
(前提)部品会社は東芝に対して部品を100円で提供する。東芝はその部品を500円で組立て会社に売る。そして組立てが終わった製品を組立て賃を上乗せした600円で買い戻す。
通常であれば、マスキング価格で部品を組立て会社へと売っても結局のところそれに組立て賃を上乗せして組立て会社から買い戻ししているのでグループ内における取引が完了すれば利益は産まれない。
ただし、期末になると東芝は組立て会社に対して部品の押し込み販売だけをして買い戻しを翌期にすることにした。
そうすることで一時的に当期末時点での利益をかさ上げしたのだ。
ただし、この方法については1つ問題が生じる。何かというと結局のところ期末に無理やりカサ上げをした利益については来期の買戻しにより相殺されてしまうことだ。
来期は今期を上回る売上がたてば問題はないが実際はそうはいかなかったようで。
そこで東芝はもう1つの奇策を実行する。マスキング価格の吊り上げである。
そうすることで前期かさ上げをした利益に対する費用の穴埋めだけではなく、当期においてもまた利益をかさ上げすることに成功したのだ。
このようにして東芝のパソコン事業は四半期末のみ営業利益が売上高を上回るような異常値となっていたようだ。
一方富士ゼロックスの海外子会社で行われた不適切会計とは
リース取引の一部についての会計処理について不適切であったことが現在上げられている主な要因となる。
コピー機器業界の設置競争は熾烈を極める。
なんとしてでも自社のコピー機を使用してもらうため富士ゼロックスのニュージーランドの子会社は設置をする事業所等に対して複写機本体の機器代金、トナーなどの消耗品代金また保守料金などについてを、固定料金として支払う必要は無く、まとめて毎月のコピー枚数に応じた料金で回収するという契約をすることが多かった。
ただし会計処理としては機器の相当分の売上については初年度に一括計上していた。
計上をした売上分以上のコピーがされていれば問題はないのだが、固定費がない分1枚あたりのコピー料金も高く設定されているこの契約。
使用者は節約をしてコピー枚数が思うように伸びなかった。また機器相当分売上を計上した分のコピー料金が回収できないこともあった。
その際について計上をした機器代金相当の売上について取り消しをすることもしなかったので、売上が過大に計上されることになりその分のリース債権の回収が困難になったことが今回の問題。
売上至上主義を第一に掲げ、売上に応じての評価のみを大きな軸として営業への賞与評価をしたことはこれら問題を助長する発端になったといえる。
また、ニュージーランドの子会社は、教育機関などに物品を無償提供する販促活動の費用に相当する金額を売上としていたこともあげられている。
これらについては2015年に内部告発があったようだが、幹部による不適切会計の隠ぺい指示により問題は明るみにでることなく収束をしたようだ。
まとめてみた感想
東芝については当期利益至上主義という考えのもとで実行された利益の先行取り、経費の先送りが不適切会計の大部分を占めている。
それに対して富士ゼロックスについてはとにかく売れ、後先考えなくていいからといった売上至上主義という側面が強いのかなという印象を受けた。
どちらの方が悪いかなんていうのはもちろんない。どちらにしろ不正であり経営者はそれを知っていて見ないふりをしていた、または率先して命令したという影の部分がある。
ただ悲しいなと思ったのは、超1流企業のトップですら結局、自分がどう評価されるかということばかりに目が行って業績数字しか見ようとしていないのかなあと思えたこと。
ステージが違うだけで考えてることは社畜と同じじゃねーか。
長期的なスパンで見た会社の成長だったり社会への貢献なんてものは両社の経営者にとってどうでもいいことだったのかもしれない。
そういう意味ではサラリーマン畑で育った人間っていうのはそのフィールドでどれだけ優秀であったとしても経営者というまた違った立場に立った時には意外ともろいのかもしれないなぁとおもえた。
そんなこんなで世襲制の社長も案外悪くないんじゃないかなと思った今日このごろだ。