『総務に蛍光灯換えてくれって言ってるのに忙しいからってなかなかやろうとしてくれない』
課長がそう僕にボヤいた。
そうなんですかと答えながら
そんなもの誰でもやれる事なのにな、と僕は思った。
ましてや課長は良く言うじゃないか
『shunponくん。仕事は挑戦こそが大事なんだ』
なぜチャレンジを求めるくせに蛍光灯の交換には挑戦しないのか。(呆れ)
課長がいない間にそれをこっそり交換しながら(常に頼まれたら面倒だから)考えてみる。
きっとそれは家でも同じなんだろう。
・ゴミ袋を変えれば良いのに『ゴミ箱いっぱいになっていたぞ』と言い
・時計の電池が切れていればわざわざ嫁にその報告をする。もちろん電球切れについてもそれは同じ。
ある人を思い出した。
他でもない自分の親父である。
嫁の不完全な主婦業に苛立つ課長
お昼の時間よく課長は僕にこぼす。自分の嫁に対するその不満
『うちの嫁は容量が悪くて家事すらまともにできない』
話を聞いていく
・洗い物が遅くて無駄も多い
大して汚くなっていない皿にも洗剤でゴシゴシと時間をかけて洗っていることに対する不満。細かすぎると文句を言うがそこに気付くあなたも同じ。
・食べるのが遅く一緒に話をしながら食事できない
子供にゴハンをまず食べさせて、自分が食べようとするからいつまでたっても片付かない食卓。一緒に食べれない不満。
食べる事がそもそも遅いことにも腹がたつ様子
・寒くなってきたのに薄手のシャツをそのまま出す
嫁は防寒着を着てるのに、自分のスーツとシャツは薄手のまま。わざわざ言わないでもスーツを冬用に換えておく事くらいはするべきだ。
・料理を無計画に作りすぎる
一緒に日曜日に買い物をしたらその時に買った食材を全部その日に使おうとするようで。『そのせいで俺は太った』との事らしい。
僕にはそれはとても些細な問題に見えたし、また旦那側の協力によってそのほとんどが解決するようにも思えた。
絶対に言えはしないけれど、こう言いたかった。
『あなたは不満を言ってるつもりなんだろうが、それはもう明らかに貴方の期待が高すぎる事に理由はあるだけだ』と。
それに100点満点中70点くらい取れてればもう十分だろう。家事なんて。
俺は協力しているという害悪でしかない考え
何回言ってもそれを変えないとこぼす課長に『洗い物をしてあげたらいいじゃないですか』と僕が話す。
『そんなことはするつもりない』と答える課長。
理由は2点あった。
・自分は会社で、嫁は家で役割を果たす責務がある
・自分は、家庭にたいして協力的な方だ。愚痴は言うが嫁に怒ることはほとんどない。
確かに1点目については道理が通っているように思える
でもおそらく、2人が抱える互いの仕事に対してのイメージ。それはかけ離れた所にあるのだろうけれど。
僕はそれよりも2つ目が気になった。いかにも自分の親父が言いそうだと思ったからかもしれない。
身勝手な家庭へのあり方と自己完結した家族愛。
自分が理解ある旦那とでも勘違いしてるんだろう。こうやってどんどん妻の心は夫から離れるのかもしれない。
家事の話をする時、自分は協力的だという男を僕は信用しない。その言葉は意外にも、家のことは全部嫁に任せっぱなしであるというアンチテーゼが含まれる場合が多いからだ。
根底としてあるのは
主婦業は特に大変な仕事ではなく自分の方がよっぽど辛い思いをしている。ましてや自分はそれを手伝いまでしている。批判するいわれなどない。
そんな傲慢な考え。
僕はそんな親父がする一挙手一投足すべてが嫌いだった。例えばこんなところだ。
料理を一品作って手伝ったと勘違い
気まぐれに親父は日曜日の夜に料理をすることがあった。凝り性な彼のこと。わざわざスパイスを買いに走り昼から仕込みはじめる。
それは本格的でとても美味しい。
親父はオカンに言う。『今日はオカズは2品でいいから』
それでも彼としては普段は3品作らないといけない料理を2品で済むようにしたわけだから自分は良いことをしたという気になってるんだろう。
残されるのは散らかったキッチンと普段使われれない圧力鍋の再収納。家事に協力した自己満足の中には洗い物は含まれない。
やらない方がマシなレベル。
簡単なものでいいぞという王様のような発言
・お昼にご馳走を食べて、夜はお腹が減ってない
・仕事の立食PTで少し食べてきた後、家に帰る
そんなことがある時によく親父は言っていた。
『簡単なものでイイぞ』
子供の時は何も思わなかったその言葉も今考えるとなかなか含蓄のあるクソみたいな発言だと思うようになった。
簡単なもの、それは早く出てくるものを意味する。
こちらの手間を考えている言葉ではない。
包丁がいる、ガスがいる。調理が必要なもの。
それは簡単なものじゃない。本当にそれがいいならカンヅメをあっためるか冷凍食品を食べればいい。
もちろん自分でそれをして。
削ることを考えて増やすことを考えない課長の嫁
奥さんはことさら節約術に徹底しているようだ。
それに対して課長は頑張りを認めていながらも同時に息苦しさと不便さを感じるとつぶやいた。
家事と同じように節約だって70点くらいで良いんじゃないかと僕は思う。
節約節制というのはある程度のところで急に難易度が上がる。そしてそれに見合わない犠牲を支払ったりもする。
・今まで使っていたauを格安スマホmineo に変える
これくらいに済ませておけばいいのに
・家の光固定回線をWiMAXに変えてしまう
ここまでやってしまう。
なんの不自由もなく出来ていたインターネット。それが月額1,000円程の違いでここまで断線、遅延があるのかと課長は嘆いた。
ある程度有名になってきた節約術にはデメリットがない場合は多い。けれどまだそれが流行っていない時に、よく考えずに現状を変えてしまうこと。
これは結構危なくて。
車の売却までをしてカーシェアにしようと奥さんは言っているようだ。もちろんそれについては必死に抵抗しているようだけど。
『仕事もしてないけれど、何より人付き合いから遠ざかっている。だから自然と、いわゆる普通の考えからずれてきているのかもしれない。』
課長はそう僕にボヤいた。
節約はある程度にして収入あげた方が幸せなのか?
節約はもちろん大事。だけれど、嫁さんの収入をあげたほうがいいんじゃないか。
僕がそう言わずともそれには課長は気づいている。
そしてもうそんなステージにきているはずだ。
これ以上生活費を削ってもせいぜい月に1万程度。
でも働けば最低月に3万円にはなるだろう。子供も3歳で健康。何の問題もないようだ。
それならある程度働いた方がうまく行くはず。
いつかまた正社員として仕事復帰すれば、今の収入だけではなく老後も年金を受給できることが可能なんだから。
このまま大黒柱が日々の生活に疲れてしまうような節約術をすることより、どう考えてもその方が発展性があるように思う。
ただ課長は僕に話した。
嫁さんは絶対に働きたくないと言っているんだ。
絶句した。もうノーチャンス。
また、そんな周りの見えない奥さんに対して投資を勧めるのは危険のように僕は思えた。
しかしやはり個人の自由
こんなことを言っておいて何だけれど。結局のところ僕はそれに対して人それぞれ色々あっていいと思っている。
世の中には自分が大黒柱として頼られる事が好きな男の人は結構いて。また、頼ることを好きな女性も多い。
そして、自分が必要とされている。そう感じることが出来ること。それは
・どんな理由であれ
・どんな形であったとしても
生きるための活力をくれる。
だからまあ自由なんじゃないかと。
大人になると子供の頃のように、自分の欲求を満たすことがイコール幸せとはならなくなってくる。美味しいものを食べたら、愛する人にもそれを食べて欲しいと思い始める。
他者との共体感が必要になるのだろう。
そう考えると。
自分が一家を支えているという覚悟。それは『生きがい』にもなり得る事かもしれない。
また事実として課長は、嫁さんに文句ばかり言うのだがどこかその言葉には愛を感じるし情が溢れている。
『あの人は私がいないと何もできないの』
困ったように言いながらもどこか嬉しそうなオカンを思い出した。
きっと課長の嫁もそんな感じなのかもしれない。
やれやれ。僕はまだまだ愚痴を聞いてあげる必要がありそうだ。