出世したくない。
平社員のまま定年を迎えたい。
そんな風にずっと考えていた。
今の仕事は嫌いじゃない。むしろ好きな方。
経理の仕事は自分にあっている。人に向き合う時間を少なくできる。余計な気も使わないでいい。
淡々とタスクをこなしていくと"やりがい"みたいなのもうまれたりする。
ずっとここで仕事を続けたい
でも出世はしたくなかった
今のまま。それを僕は続けたい。
出世あるいは昇進。
そういったものは特に望まなかった。いくつかその理由はある。1度整理して考えてみる。
リーダー気質ではないから
学生の時からそうだった。
・みんなでやろうと呼びかけるほどの指揮能力
・俺についてこいと言えるほどの統率力
それらが僕にはまるでなかった。それを求められそうな時は逃げるように生きていた。
30年間もの間、身につけて来なかったリーダー性。
今更身につけろと言われてもしんどくてたまらない。
対話能力すら欠けている。
もうリーダーにはなれないのだ。
上司を見て、対価に見あわないと思ったから
僕の年収は30歳で480万程。
嫁さんが育児休暇中の今、生活は裕福といえない。
でも今のポジション。残業は0で休日出勤も全くない。そして大きなストレスを抱えていない。
満足はしないでも納得ができて働いている。
それが課長クラスになれば満足できるかといえば、そうではない。せいぜい700〜800万ほどの年収。しかし責任だけは何倍にも膨れ上がる。
・夜は21時過ぎまで残業をして
・土日休みにもたまには会社に出たりして
常に頭のどこかに会社の存在がある。
私生活を代償にして得るものは、年間300万ほどの違いだけ。手取りで見ればもっと下がる。
これだけ頑張っている人でもそんなものか。
身近な天井を知ってしまうと、出世というものが割りに合わなくも見えてしまう。
年収1000万プレーヤーより共働きで1千万の方が手取りが多い
(年収500万なら400万近い手取りに。2人なら800万)
年収1,000万。
「高給取り」と一般的に言われるその金額。割合は20人に1人以下。自分とはほど遠い存在。
ただしそんな年収1,000万。手取りで見れば750万~800万。200万円以上も目減りする事実がある。
そして今の日本の税制
・年収500万がふたりの共働き
・年収1,000万の片働き
2人で働く方が手取りは大きい。
また多くの企業は配偶者手当を廃止している。ますます片働きは非合理性を増している。それなら僕は共働きでゆるく働きたい。
向上心がなく今を楽しみたいから
常に将来のために今を犠牲にして頑張ろうとする人がいる。スキルアップ、資格取得etc…。
高校生の頃ならいざ知らず、今の自分にそれはない。30歳の自分には向上心がまるでないのだ。
何となく生きてきた。だから何となく死んでいきたい。背伸びしたって元々身長は高くない。それならもう漫然と人生を過ごしたいのだ。
遊びや家族との時間を犠牲にして、今後のキャリアを築くことで得られるものは何だろうか。
明日交通事故で死ぬ可能性だってある。
そして、僕はあと何年か生きるか知らないが、どれだけやり直したくともやり直せないことが1つある。
それは子供との今の時間。
これ以上に貴重な時間を出世して作り出すことは可能だろうか。
中途入社で同期がいないから見栄もない
中途入社の特権とでもいうべきか。今の会社に入ってからは、社内の人間と競う感覚になったことがない。
新卒で大手に入社した時は違った。
仲良くしていた十数人の同期がいた。
もちろん当時から出世したいとは思わなかった。ただし彼らと多くの時間を共にする事で、いろんな感情が芽生えていったことも事実だ。
出世したいというよりも
・アイツよりは上に行きたい
そんな感情が湧いてきた。
また、出世の差がついている先輩を見て
・あんな風に惨めに思われたくない
そんな感情をもった事もある。
今の自分にはそれがない。
同じ年代とは交流もあり仲は良い。ただあくまで自分は中途採用。"よそ者"という感覚が強くある。歯車の一員でしかなり得ない。
人に命令する、任せることが苦手だから
・ これを命令したら『嫌なことばっかり任せられてる』と思われないだろうか。
・『自分でやれば良いのに、なんで私に振るの?』そんなふうに思われないだろうか。
気の小さい自分はどんどん悪い方に考えてしまう。
また人に任せることも苦手だ。
・本当に部下にそれができるだろうか。
・負担になりすぎないだろうか。
余計なことばかりがどんどん思いつく。
最終的には自分でやった方が早い…とか考えてしまう。上に立つ人は度量の広さはもちろん、ある程度の鈍感力が必要だと思う。
自分にはそれがない。
経営者視点にはなれないから
経営者視点。
よく言われるこの言葉。
特にそれは上に行くほど強く求められるように。
でも僕は所詮「雇われ」。
なぜ経営者目線にならないといけないのだろうか。
責任だけを押し付けて経営者視点を求めるくせに自分の報酬が自分で決めれない不自由さ。
それなら起業した方が賢くないか。
・経営者目線にならないでも一定の報酬が貰えること
それはサラリーマンの最大の利点。わざわざそのメリットを消してしまう道理がない。
現場の仕事が面白いから
マネージャーよりプレーヤー。
会議より現場。求めてるのは臨場感
今の仕事が好きだ。内容に満足しているしもっと掘り下げていきたいとも考えている。
それが中間管理職になってしまえば
・現場に携わることは減るが責任は自分のまま
・代わりに会議の時間が増え上下関係にも消耗する
そのつまらなさやストレスをずっと見てきた。
考えただけでため息が出る。
平社員はとても自由だ。
僕はずっと現場で働きたい。
しかし割り切れない自分がいる
以上が僕の出世したくない理由。
そんな話はよくしていた。ただし心の中でどこかそれを割り切れていない自分。それがいることも知っていた。
認めたくないその感情。
だからこそ他者へは隠し通していたかった。
自分の思いは見透かされていた
『君は苦しむことになるよ』
僕が必死に見えないようにしていた恥ずべき部分。それは既に見破られていた。退職を控えた上司と2人で話したとき、その矛盾を指摘された。
『出世なんてどうでもいいと思っていないんだよ君は。承認欲求のかたまりなんだから。そんな嘘をついてると、いつかなりたくもない言葉通りの自分になっていくよ』
言われた通りだった。
・出世なんてしたくない
・平社員でずっといたい
そんなことを言いながらも今の自分。やった仕事また成果物に対して
・もっと評価をして欲しい
・すごいねと認められたい
そんな承認欲求を持っていることは事実だった。
『承認欲求が強い人間が出世できないこと。それはどんどんコンプレックスになっていくよ。僕がそうだったから分かるんだ。割り切れない。』
"もう最後だからね"
笑いながら本音を答えてくれた上司。
上司が急に休むようになったのは、年下の人間が課長として自分の上に来てからのこと。
誰も言わないがみんなそれを知っていた。
結論どうしていいかわからない
(こんな平和ボケな悩みが出来るのは暇だからかも)
僕は自分がどうなりたいかが分からない。
みんなそんな事は全く考えていないのかもしれない。なるべくして今に至る。そんなものなのかもしれない。
ただいえるのは
・週5出勤×8時間勤務を40年
僕はそれをお金を稼ぐ手段と割り切ろうとしてきた。
でもやっぱり割り切れない。
それは人の人生にはあまりに長い拘束時間。自我を抑えきるには長すぎる。
そして仕事を通じて誰かに認められること。
それはやっぱり嬉しかった。かげろうのように儚いが、たしかに存在するその感覚。ないと言えば嘘になる。
また僕はこういった小さな満足感を積み重ねていかないと結局のところダメなのかもしれない。
承認欲求を満たせた時こそ、自己の存在を認識できる。
30歳という節目で少し昇進があった自分。
嬉しくなかったと言えば嘘にもなる。ただ今はやるべきこと。それをきちんとやっていきたい。