共働きサラリーマンの家計簿

アラサーの投資+雑記ブログ

子供の育てかたが分からない

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キュボロ (cuboro) キュボロ クゴリーノ スタート

『キュボロって知ってるか?』お昼に上司が僕に言う

聞いたことすらないその名前。

どうやら穴が彫られている5cm四方のブロック。それを組み合わせてビー玉をうまく転がすオモチャのようだ。

これがどうしたんですかと聞いてみる。

『いや、子供に買いたいんだけど人気で買えないんだよ。値段もつり上がっているし』

困ったように話す上司。

 

特に魅力的に見えなかったそのオモチャ。何故そんなに人気があるのだろう。

調べていくとそれはテレビの報道が理由のようだ。将棋の藤井四段が小さい頃遊んでいたと紹介されてそこから人気に火がついた。

 

偉業を成し遂げる誰かがいて。

多くの人はその偉業を褒めたたえる。

けれど育児をしている人がまず見るもの。

それはどういう育てられ方をしたか。

いつしか僕も多くの親と同じようにそんな考えになっていた。キュボロがだんだん欲しくなる。

 

『君は子供にどう育って欲しいんだ?』

上司は僕にまた尋ねた。

言葉が何も出なかった。

 

僕は子供をどう育てたいのだろう 

 

 1歳から習いごとを始めさせる親は多い

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(ベネッセ教育総合研究所子育て生活基本調査より)

未就学児に習い事をさせる割合。気になり調べてみる

年少児・・45.5%

年中児・・62.4%

年長児・・74.3%

こんなに高いのかと驚いた。通信教育をさせている場合を含むと書いてあるが我が家もしている月1回の子供チャレンジ。それは習いごとに含まれるのだろうか。

もっとも僕はあの教材に対して

『子供に何をさせていいか分からないゆえの免罪符』

そんな風に利用しているだけなんだけど。

 

以前嫁さんの友達が家に来たことがあった

その時友人は、既に子供をヤマハの英語教室に行かせていると話していた。『1歳から習いごとに行かせている親は多いみたいだよ』そんな風に嫁も話す。

どうしたらいいんだろう。何かはじめさせるべき?

 

自由に生きて欲しいという嫁さんと素直にそうも思えない僕

 

 僕がそう答えると彼女は首を横に振った。自分のように好きな道を見つけて歩いて欲しい。きっとそんな願いから。

またそれは嫁さん自身が

・幼少の頃に毎日の習い事に疲れていたこと

・高校生になって自分で今後生きてきたい道を決めて国家資格までを取ったこと

そんな自信の表れかもしれない。

 

僕にはずっと将来やりたいことがなかった。

親からは勉強しなさいといつも言われたし、それによって道は開けるかのようなすり込みをされてきた。

未だに僕はそんな思いをどこか胸の奥で抱えている。

 

また心配になる。

僕の子供は自由にさせることで本当に進む道を自分で決めていけるのだろうか。迷子にならないのだろうか。

 

中学の頃、地区1番の公立高校に入りなさいと言われて

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『宿題はやらなきゃいけない。でも勉強をしたいかどうか。それは子供の自由だよ。』

子供を自分のエゴの道具にすることはしたくない。

 

そういう嫁を見て高校受験の頃の自分を思い出す。

 一緒に同じ高校を受ける友達がいた。

その子の親とうちの両親。面識があり仲も良かった。

合格発表当日。僕の受験番号はそこにあって、彼の番号はどこにもなかった。

受かったことを報告したとき

『友達はどうだったの?』

そう親に聞かれた。

落ちたことを伝えたときの両親の顔。

今でも僕はそれを覚えている。

彼が落ちた事が嬉しい、そんな優越感や侮蔑。醜い感情が入り混じったその表情
僕は2人のエゴを満たす道具だったことを知る。

 

空白だった高校時代

僕は落ちこぼれになった。もともと中学校の内申点が良かったから行けた高校だった。背伸びをしすぎたのだ。

クラスに話し相手がいなかったわけでもない。また、グループに所属していなかったわけでもない。


でも僕はいつもそこからこぼれ落ちないか必死だった。そして何より常にテスト勉強と追加試験に追われていた。

 

部活もしていなかった自分はその場所で人間関係や友情を育むことができなかった

授業が終われば僕はすぐに家に帰った。
今でも付き合いがある友達。それが高校の頃だけは誰もいない。

すっぽり抜け落ちた高校生活。

 

『つまらなかったでしょ。高校時代。ごめんね無理させて』

今になってオカンは申し訳なさそうにたまに僕にこぼす事がある。別に恨んでなんかいない。
それに僕はもうあの頃の記憶があまりない。それくらい薄い3年間だった。

 

言えることがあるのなら僕はそこで本来学ぶべき経験をしてこなかった。それくらい。

まともな恋もできずに大学に入った。それはきっと高校生活で学ぶべきものだった。

 

自然な人付き合い、恋愛ができなくなっていた

僕は思ってもいない言葉を本当にそうであることのように話す事。そればかりが得意になった。

感情はいつもどこかに隠れてしまう。

そのテクニックはとても役立つことがあったのだけど、いつしか僕は自分が話す言葉を信じれなくなった。それでも孤独が怖かった。

昨晩誓ったその愛は翌朝になると行き場をなくして、僕はいつも途方にくれた。

着信拒否の数だけは増えていく。

 

それは大学時代だけで終わらなかった。社会人になってもずっと続いた。4人と同時に付き合っていた期間もあった。病気みたいなもんだった。

 

社会人になって今の嫁さんと出会って

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そんな時に今の嫁さんと出会った。

何というか彼女には全てを受け止めてくれるような優しさがあって。僕はたいていツキのない人生だったのだけど、彼女と出会えたことだけは本当に救われたのかなと今でも思っていたりする。

 

真っ当に恋愛をして、失恋をして

今しかできない勉強と経験をして

多くの友達に囲まれて欲しい

僕にはそれができなかった。

 

できないことを子供に求めるのは親のエゴだろうか?

歪んだ僕とまっすぐで優しいぼくの嫁。

子供はそれをどう受け止めるのだろう
僕は子育てがわからない。